tqazwsxedcのブログ

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Tweeting Diary  ~みんなちがってみんないい~ -Everyone is different and it’s ok to be-

最初にまず言いたい。

この日記は、

ただただ、つぶやきに近い。

 

そして、次に言いたい。

 

みんなちがっていて、それが当たり前

 

それは、良いか良くないかなどと、

誰かが決めることではない

 

世の中、人生ホントに色々なことがある。

色々なことが起きる。

さけたくてもさけられないこともおきる。

なにがあるかわからない。

本当に大変なことにもなる。

後々なることもある。

そんな心がとにかく大変なとき、

一番大事なことは、

皆それぞれに、

相手を想う温かい心があるかどうか

自分を想う温かい心があるかどうか

みんなちがって、みんないい

これが、その心を救う手になる。

日々、ほんとにそう感じる。

このことを含めた、経験や価値観、知識等を通して

自分が考えていることや共有したいこと、

考えてもらいたい大切なことを、

長いこと交流のある、色々な取り組みをしている組織の

子どもたちに、手紙を通して伝えることにした。

その団体にはわたしも所属経験があるが、

本当に大切なことを色々と学べる良い取り組みをしていると思う。

こうした自分の大切な、大切にすべきである考えや意識を、

学び成長盛りの子どもたちに伝え、共有することに意義を感じるし

それが出来ることに、嬉しく思う。

意図した、願うかたちで伝わるかはわからないけど、

心にしっとりと残ることが大切。

心、いつもこころが大切。心が最初にくる。

 

Anyway

ほんの数か月間ではあるけど、先月の頭頃まで
プログラミングの基本を勉強した。
HTMLとCSSがメイン。
オンラインの定額コース。
更新日が近づき、会員を続けないことにしたけど。
覚える事が沢山あり、
常にいじっていないとすぐ忘れて困惑する。
逆にいえば、覚えていて、使い方を分かっていれば
自由にサイトの画面を作れるので、
創作感があって面白いかもしれない。
それは勉強しはじめの頃、とても感じた。
You.tubeやサイトなどでプログラミング関連の記事を読むことに
夢中になっていた時期が少なからずあった。
ピアノの練習を思い出した。
最初の頃は、譜面を見ても訳が分からない。
泣くほど同じ事を繰り返し練習して
長い月日が経ち、
ふとした時に初見でスラスラ弾けていることに気が付く。
マッスルメモリーではないけど、
プログラミングを学ぶ際にも。
何かに似たような反復練習や訓練的なものが必要なんだと感じた。
出来るようになったら、ある程度必要なレベルまでマスターしたら、
自由に作りたいものを作れる。
仕事を選べる可能性がある。
一種の夢があるなとは思った。
肝心なことは、その地点まで行きつくまで長距離走ということ。
時間とやる気と、忍耐力が備わっているかということ。
そしてその後もずっと新しい知識の習得が必要であるので、
プログラミングが好きな人、苦でない人、強い関心を持ち続けられる人にとっては
とてもいい勉強なのではないかなと思った。

最近ウクレレの練習を再開した。
といっても、前回はほとんど触っていないので、
(弾きたい曲のコードが今一つわからず、断念した事もある)
今回は本格的に曲を練習している。
Yesterdayから始まり、Don't know why、
Moonriver(少し)、Wait for the momentときている。
どれも3日目以降から少しマシに弾けるようになっている気がする。
歌を入れると楽しい。カラオケに行かなくても済む的な。笑
思いっきり音を出しながら歌いたいのだが、
何せ周囲への音の影響を考慮すると難しいものがある。
以前、公園に行って思いっきり練習しようとしたけど、
電話している人がいたり、
結局どこにも人がいるomgと思った。
バスキートをするには、声が弱いのでマイクが必要だし、
ウクレレは課題が沢山あるし
ただ、久々に(大分前にギターを少し練習した依頼)指の皮がはがれて少し硬くなったきがする

また、最近はハイキングにも行ってきたんだけど、
予想外に、もっと行きたくなった。
足を以前怪我した事があり、
ビギナーなので、難しく長い距離のハイキングは難しいかもしれないけど。
綺麗な景色が歩く過程で見られるのなら、
色々な場所のハイキングに挑戦してみたいと思った。

とにかく、自然は厳しいけど、自然は素晴らしいね
気持ちを強く前向きにしてくれるような力もある気がする。

 

以上、つぶやき日記でした。
(のちほど編集するかも?)

Specialty Coffee ・Espresso machine etc.の紹介 ~Barista Job~

これまでに、海外にて実にいろいろなカフェでの仕事を経験してきた。
今回は、その一つを、完全にコーヒーメインで紹介したいと思う。

ここは、スペシャリティコーヒーを扱っており、
ローカルのロースターの豆を使用している。
メニューは、かなりシンプルで、分かりやすい。
コーヒー、エスプレッソ共にレシピがあり、
コーヒーにおいては豆の種類が時折変わる。
カフェといったものの、この店のメインはフードである。
コーヒーセクションは、あまり忙しくないのが現実。

ともあれ、色々な機器のご紹介。

まずは、エスプレッソマシン 写真2枚。

この店は、フードのおーだーが中心でコーヒーセクションはあまり忙しくないので、

ハンドルは3つの内2のみ使用している。

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ハンドルは、2つのみ使用

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エスプレッソ用グラインダー(レシピに沿って、必要に応じて調整しながら作る)

 

こちらのグラインダー(左)は、デカフェエスプレッソ用。
中央のグラインダーは、コーヒー用。(コーヒーのデカフェはここは無い)
そのコーヒーメーカーが、右手。

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いつもコーヒー一回分(113.5g)を、ジャーに入れ準備をしておく。
平日が忙しいので、平日はいつも大体1時間毎に新しいコーヒーを作り、
鮮度のある状態で一応提供している。
休日は暇なことが多いので、別。

 

続いて、豆の種類の紹介。主に2つあり。(コーヒー用とエスプレッソ用)

コーヒーの豆はたまに種類が変わることがある。

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写真左側の豆・・デカフェエスプレッソ用

写真右側の豆・・Phantom(Guatemala) 普段扱ているコーヒー用の豆
ボディ:ミディアム
スウィートネス:chocolateのような甘さあり
酸味:Orangeのような酸味

全体的にまろやかな感じの味といった印象がある(個人的に)

今後、コーヒー豆の種類が、PhantomからBishanに変わる予定。

 

下の写真Colombiaの豆は、エスプレッソ用
ボディ;ミディアム
スィートネス:dark chocolateのよう
酸味:orangeのような酸味
個人的には、比較的すきな味のセスプレッソかなとは思う。

 

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エスプレッソ用の豆

次に、マシンの掃除グッズを紹介。
ここでは、バリスタは閉店前に業務を終えるので、
翌朝に掃除をしている。(翌朝掃除する店は初)

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掃除グッズと、ハンドル、小さな部品

使用済みハンドル、その他の部品を、スクリュードライバー(右端)で取り外し、

粉(左端)とお湯を入れたボックスの中に入れて、しばらく浸けて汚れをとる。

掃除用ハンドル(中央下)に、粉を少しいれ、マシンの中を掃除する。

その後、小さなブラシで、エスプレッソの抽出口エリアを掃除。

全部綺麗にしたら、元に戻す。

 

カフェによって掃除の仕方や順番は違うが、その日ついた汚れを綺麗にするという目的は大体同じである。

最後に、ラテアート(ラテ、カプチーノ、フラットホワイトのいずれか)を一つ紹介。

 

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フード(スタッフ用)

たべすぎ。

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チキンサンドイッチと

コーヒーは完全に飲みかけ。確か、これはラテだったかなと。

 

ではでは。

Medical Translation

医薬翻訳

最近、医薬関連の記事の英文と日本文を照合しながら
読解する練習を始めた。
今回取り上げた記事については、
英文構造的にはあまり難しくなく、中学~高1程度レベルの文法であったように思う。
この読解を難しくさせるのは、
知らない単語の数だと感じた。
医薬用語やそれに関連した英単語は。
日常的に聞き慣れないものが多い。
それが理解できれば、
記事の全体を読解力がかなりレベルアップするのだろうと思った。
翻訳の基礎を学ぶのにはいい練習だなと感じた。
また、医薬文の特徴知り、読解に慣れるという意味でも、とても良い。
今回の記事の中で、
一番、和訳において難しいなと思った単語がこちら。
→「An early,transitional, tailored, progressive rehabilitation intervention」
”早期に開始し,段階的に移行する個別化リハビリテーション介入”
特に、transitional, tailored, progressiveの3単語をどう和訳するのか気になったが、
この記事の和訳では、”段階的に移行する個別化”としていた。
各単語の意味にフォーカスすると、こうした表現は出てこないのかなと思う。
この記事が作成される前から、既に同じ言葉や似た言葉があり、和訳がなされていたのかもしれないが。
とにかく、この手の単語が出てきた時に、いかに正しく意味をくみ取って自然な和訳にするかというプロセスが気になったし、
勉強が必要だし、難しいなと感じた。

と言いつつ、

まだまだ、これから!

TOIEC・語学学習


以前の記事でも少し話をしたように、
最初に海外渡航をする数年前に、
使える英語力を上げるために、
努力して独学をしていたものの、
結果むなしく、
記憶が正しければ、
最高点は500点半ば程度どまりであった。

TOIECの為の勉強というより、実践的な英語力をつけることを
目標としていたので、
試験へのアプローチの仕方は違ったと思う。
当時はスピーキングにも力をいれていた。
個人的には、スピーキングとリスニングが得意であったので、
それも影響あったのだろう。

最近模擬TOIECを受けた。
実に5年振りに近い。
結果は、800点半程度だった。
模擬であれど、これには少し驚いた。

700点第出なかったらヤバいな、とは思ったけど。
800点第が得られるとは。
一番驚いたのは、
解いている時の間隔が違うこと。
以前は、リーディングパートになると、
本当に読解力やボキャブラリー力が乏かったようで混乱して、
後半お手上げ状態の事が多々あった。
その当時は、TOIECって、”難しい”テストだという印象を受けた。

あれから数年。
今は、特別英語の勉強をしていない。
弱点をカバーするような勉強をしないと、
語学はそう簡単に上がらないことはわかっているけども。。!
(英語環境というのは多少意識している。仕事場も含め、ほぼ英語環境である。)
それでも、今回の模擬TOIECで、”難しい”→”身近な題材を使用した”テストだという感覚であった。
きっと海外生活の中で、想像以上に、ある程度沢山のインプットをしてきたのが今回の意外な結果につながったんだと
そう感じた。
逆に言えば、渡航前は想像以上に、圧倒的なインプット(アウトプットはもちろんのこと)の量が足りなかったということになる。
当時頑張っていた自分自信を褒めたいのと同時に、難しいことに挑戦した自分自信にすこし申し訳ないような気分にもなるが。
英語をシャワーを浴びるように、沢山触れることが、どれほど力になるのか、考えさせられる結果であった。
ただ、自分が一体どの時点で今の英語力を身につけたのかは、今回が渡航後初めての試験(模擬)なので、まったくわからないけれども。


もちろん、今のところ900を目指す事を考えているので、壁は高い。
当たり前だけども、感覚でわかる。
何事も、スキルを上げるのは時間がかかるし、労力が必要なわけだ。
ただ、以前のように無謀ではない。
限られた時間の中で、
実力を上げる学習が出来るようにするのが、今の課題かなと思う。

ちなみに、
渡航前の独学は、どのようにやっていたのか。
ここでは、簡単に説明したいと思う。
(もしかしたら今後、私の独学についての詳細の記事を書くかもしれない。)

①中学2,3年の英語の教科書
リスニング、シャドーイング、リーディング、スピーキングの練習に使用

②文法の参考書
文法の概要を理解するために使用

③スピーキングの本(シリーズ1~3)
中学で習う英文法のアウトプットする練習に使用

④オンライン英会話(25分/忙しい日を除きほぼ毎日)
会話に慣れ、自然に自分の言葉で話ができるように練習

⑤その他、意識した事・・
音楽は基本英語の曲のみ、日本語のテレビを極力見ない、
英語の動画を視聴する、etc.

これを1年以上続けた。

このやり方は、間違ってはいなかったと思う。
そして、これはきっと合っていると、ようやく思えた勉強の仕方である。
実践的な英語力をつけるために必要な勉強の仕方に出会えたのが、
少しづつ英語の勉強を始めて確か1年後かそこらであった。
もっと早くこの学習方法に出会えてたらな、探し出せていたらなとは思う。
けど、探しだせずに途方に明け暮れて終わるよりはまだいい。

ここからいえるのは、色々調べて、試して、確認して、
ダメだったらまたほかのやり方を試すという試行錯誤が最初に必要だということ。
正しいやり方だとしても、自分に合っているかどうかは、また別物だったりする。
とにかく、新しいことを基礎から学ぶということは、本当に労力の要る作業である。

また、毎日休日も勉強していたが、
レベルを上げるのにとても時間がかかるとは感じた。
というのも、書く・話す・聴くのスキルを同時に複数のやり方で、
基礎の基礎から鍛えていったからだろうなと思う。

日常の中で、実践⑤のように、
意識して英語にふれる(日本語禁止)の時間を作ったりもしていたけど、
やはり圧倒的に日本語にふれている時間の方が多く、
定期的かつ長期的に、長時間の実践的な英語のシャワーを浴びるような機会は、
生活環境の兼ね合いもあり、ほぼほぼ難しい状況だった。

 

話は今に戻るけれど、

最近翻訳にも興味を持っている。

先日、クラウドワークスにて

英文を和訳する作業を経験した。

今後もそうした経験をちょこっとずつでもよいので

積んでいけたらいいなと思っている。

挑戦してみたい作業は見つかるものの、

時差やスケジュール的な面で、

なかなか定期的・長期的な仕事を成立させるのが難しいと実感。

当面は、短期的な作業の依頼を受けたいなと考えている。

ファイトー!

“尊重 Respectful”

自分にはない様な個性を持っているものに惹かれる。
個性はその人らしさであり、遺伝子レベルのものから装飾レベルのものまで色々ある。

そして、平和はお互いの違いを尊重し合う事から生まれるんじゃないかと考えている。
 
生活環境の中で、平和でいる感覚がとても好きだ。
攻撃的、否定的な体勢をむき出しにするより、ある程度自分が折れてでも平和を選びたい。
攻撃的、否定的な体勢を維持する事が自然である様な環境、そこに身を置くことが得意でない。

納得や賛成できなくてもいい。
お互いの違いを尊重できればいい。

数年間海外にて実に色んな人々の生活がクロスする瞬間を見てきたけど、
平和を維持するのには、
お互いを尊重し合う努力が、間違いなく必要だなと思う。

みんな違って当たり前。個性は違うもの。違いはその人の魅力にもなりうる。
ダレも否定する権利は無い。
なぜなら誰かに指示されて創り上げられたものではない、自分でも気づいたら持っているような、自然な事だから。


自分らしくいられる。それを咎めるものが無い。咎める必要がない。このシステムが自己肯定感を生む。
そしてその自己肯定感が、どれだけ自分が自信を持って気持ち良く生きていくことにとって必要な感覚なのかを知った。
日本での生活は、その違和感をストレスと感じながら過ごす事になるのだろう。


冒頭で、自分が持っていない様な、そんな個性があるものに惹かれる事があると話をした。
そういうものに触れた時、
よくふいに嬉しくなる。そして最終的には、どこか安心感さえも覚える。
何故なら、
きっとそこには、
私ずっと大事にしている言葉、 "みんなちがって、みんないい" が在る。
 
 

*多様性 Diversity*

日本では、同地方にて15年程生活していたが、その間、
多かれ少なかれ、違和感の様なものを感じ続けていた。
何だか自分と型が合わない。
生まれが関東圏で、多感な時に引っ越した難しさもあったのかもしれない。

もちろん、その地方は基本的にすきだし、ずっと応援している。
いつも想う大事な場所。
個人的にすきな、特定の場所だってある。
私がただ言いたい正直な事は、
生活してみた上で、何だかフィットする感じが無い。
この違和感はどこからくるのか。
まるで、月日と共に必要なサイズの合った貝選びに失敗したヤドカリのような気分。
あれ、なぜか一向に貝と自分との隙間が埋まらない。
私の本当の居場所は一体何処だ!
 

日本は定規と鉛筆で絵を書く国とするなら、
カナダやオーストラリアは鉛筆だけの国なのかもしれない。

これは余談だけど、定規がいつからか好きでなくなった。
精密な設計やデザインを描くなどの場合を除いて、なぜわざわざそこまできっちりすべきなのか、未だに腑に落ちない。
個展の際に絵を描いたり図を切り取ったりする際も、定規を使わなかった。
ちなみに海外生活の中で一度も、定規を使用している人を仕事場や学校を含め見た覚えはない。

話は国の話に戻る。
日本は定規で枠を作り、人がその標準となる枠になんとか当てはまろうとする。
一方でこちらの国々は、みんなそれぞれバラバラの線を描く。枠がないので標準がない。
その分日本には無いような種類のショッキングな出来事が起こる。衝突もたくさんある。
そんな事柄に触れたこともない慣れていない様な人たちにとっては非情に、非常に苦しい。
トラウマのような気持ちにもなってしまうかもしれない。

ただ標準が無いので、枠にとらわれる必要がない。その人がその人のままでいる。
基本的に誰もそれを否定したり肯定したりする必要はない。
なぜなら、自分が自分らしくいること。
それが当たり前だから。
ある意味で、標準が無いのが標準かもしれない。
例えば、
心身の健全を考えた生活環境を目指したいと考え始め、
仕事を辞めて生活拠点を移動し、新規一点新しい仕事を探すという試みに、
'それをするには遅い年齢'という一般的な感覚は、
おそらく無いだろう。その必要が無い。
遅いかどうかは、その人が感じたり決めることであり、標準化できない。
 

次の記事 “尊重 Respectful”に続く。。
 
 

最近思う事。My thoughts.

今年は本当に、全く予想がつかないというか、予定通りに行かないと言っていいほど、凹凸な日々だった。

今年はプライベートでも変化があった。

泣くこともあったし、それでストレスにも感じる事になった。

その一方で心が安心感に包まれ、満たされる感覚があった。
こうして日々歳を重ねながら過ごしていると、
(以前には無かった、或いは考える必要の無かった様な)気がかりな事が、年々増えていく気がしてならないのは、私だけだろうか。
今優先して気にかけたくない様な事も、将来を見据えて気にかける必要が出てくる。
不安や煮え切らない気持ちを抱えながらも、
自分のペースを維持しつつ、少しでも納得のいく方向や考えの上で人生を進めていったら、
良い歳の重ね方が出来るのかなと思うこの頃。
実際やってみないと、その良し悪しがわからなかったり、どんなに予測や想像をしてみても、
その「時」にならないと、結果が分からない事が日々の中に沢山ある。
未来は、誰にも見えない。(占い師の事はよくわからないけど。笑)
人生の舵をとるのは、本当に簡単な事ではないなと感じたし、そのことを学んだこの1年だった。
みんなそれぞれ、自分にとって今本当に大切で必要なものは、1つや2つじゃないはず。
人生は時に、本当に不快なドラマを演出するもので、それらを全て手元に置くことは出来ない時がやってくる。
折り合いをつけたり、妥協したり、涙と引き換えにたった1つに絞って、その場を去るシーンを突き付けられる事もある。
残酷だからこそ、他のシーンが余計に愛おしく美しく感じるのかもしれない。
人生そうやって凹凸に日々揉まれ、きっと学んでいく。
何とも言えない気持ちになるね。(決して良い気分になるという意味ではない。)
とにかく、今年も自分を想ってくれた人々に感謝。来年も、再来年も、これからもずっと、ずっと感謝し続ける。

Sometimes I feel that life is like driving.Many negative feelings from lack of confidence sometimes try to drive our life.But they don't have a license as a driver.Only we ourselves have an original license for it.
Ok,maybe we would permit them to be exsit around there as it's a part of life.However we do not let them control our life.They might try to lure us to grab a handle in the car.But it's illegal as you know.
We aren't sure about the result of our challenge or decision that we always make and we have to make as we can't see our future,too.Eventually we will try our best again and again.
Whatever it is,the process twords it will never betrays us.It will always teach us something meaningful or somthing new to make ourselves grow up so that we can drive our life more smoothly,easier or better.
It's easy to say it,but hard to drive our own life like that as we are not perfect.But we try it somehow.
And that creates us attractive and something special.